自己韜晦

※この記事は、Hikageの強い思想とホラーと過激な表現が含まれます。心身の弱い方や体調の優れない方の閲覧はお勧め出来ません。
くれぐれも、各自の責任においてお読み下さい。

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自分は何者なのか

これまで生きてきて、他人に話せなかっ事が色々ります。
昔馴染みも、仲の良い友人も、先輩も恋人にも、
本当の僕を知るものはいないのかもしれません。

話した所で、一般的な感性を超えている内容で、全く理解をされない。
ならば、話す必要は無いと仕舞い込んできました。

それは、いつしか大きな楔に変わり、
何事も人にあまり相談する事なく、本音で対話する事なく、
感情を押し殺し、もう一人の自分を作り上げてしまったのです。

友人や周りが悪い訳では無いのですよ。(信用していない訳じゃ無いんだ。ごめんよ)
僕の育った環境が特別悪かった訳では無いのだけれど、
何かずっと心にぽっかり空いた隙間があって、
その風通しが良いことが当たり前となり、
孤独であることを見て見ぬふりをしてきたのかもしれません。

そうやって、自分の感情を押し殺して成長していくと、
無感覚になっていき、取り返しのつかないことになってしまいます。

人並みに、喜ぶし悲しむし、おしゃべりもします。
でも、どんなに馬鹿騒ぎしても、どんなに人を好きになろうとしても、
心に空いた穴は、何をやっても結局埋まらなかったんです。

そして、どうやって相談するんだっけ?
どうやって、辛いって言ったら良いんだっけ?
どうやって、助てって言ったら良いんだっけ?
どうやったら、理解してもらえるの?
と、悪循環の中に放り込まれる。

こういう事を言ったのは、この文章が初めてなんですね。
人に悟られないように、人と距離を置き、仕事を忙しくして、
分からないようにしてきたのでね。
これを読んだ人で、病んでるなぁと理解されなかったり、
洒落臭いなぁと思われる事は全然良い。
ただ、少しでも似たような思いをしたことがある人は、
立ち止まって、心に手を置いて、目を瞑って、本当の声を聞いて欲しいのです。

取り返しが付かなくなって、
気が付いたらあと三年で死ぬかもしれなくなって、
その誰かみたく焦って懺悔しないように。

僕で良ければ、話くらいは聞いてあげられると思うからさ。
何でも言ってよね。

特殊能力


前回のこちらの投稿で、

僕が持つ、自分自身の不思議な力や体質について触れたと思います。
第六感や特殊能力と言ったら、大袈裟かもしれませんが、
この力の事は、僕の近しい友達でも、殆どが知ってこなかった内容でしょう。

ただ、この特殊な体質や能力に近い界隈、
所謂ホンモノの霊能力者の人達にはバレてきてしまいました。

・幼少期

僕は、幼少期に夢遊病が爆発した時期があります。
意識的には眠っていて、朝起きる時も当然の様に、ベットの上で目覚めます。

しかし実際は、家の中を歩き回ったり、電気を点けたり消したり、
何かに取り憑かれたように、無意識に行動を起こすよになってしまいました。

そしてそれは段々とエスカレートしていき、
終いには家を飛び出して行って、近所のお墓に通うようになってしまったのです。

それでも、僕自身は朝ベットの上で目覚めるのですが、
足の裏だけはしっかりと土で汚れていたのです。

そんな事が続いていたある日の事、
弟が僕を引っ張って連れ戻してくれました。

弟曰く、
「兄ゃん、狐の顔をしていた」そう言うのです。

当時僕も幼かったですが、弟はもっと幼く、
そんな幼い子供が発する言葉を、大人は魔に受ける訳でもなく、
僕も自覚が無いものですから、子供の戯言と片付けられてしまいました。
そしてそれ以降、ピッタリと元の静けさを取り戻すように、
僕の夢遊病の深夜徘徊は終わるのでした。

・物心がつく頃

僕が夢遊病だった事を、本人はすっかり忘れ去っていました。
また、弟が言った言葉すらも脳の片隅にしまって置いていました。

そんなある日、神社のお参りかなんかで(定かな記憶ではありません)、
宮司さんか神主さんのような人に声を掛けられます。

「君は、狐に取り憑かれたことがあるね」

その瞬間に、無意識で行なっていた夢遊病の記憶が蘇り、
更には、寝てるはずの自分はその光景や景色を見ていないのに、
鮮明に自分が見ている錯覚に囚われました。

あの日、確かにお墓の前にいた。

気が付くと、その神主さんの様な人はいなくなっていました。
お稲荷さんの視線を感じる様な気がしました。

・青年期

霊感のメチャクチャに強い友達に出会います。
うバグなんじゃ無いかって言うくらいに、凄い友達でした。

彼と初めて会った時にも同じ事を言われたのです。

「お前、狐憑きなんだ」

初めましてよりも先に言われました。
そして、彼は続けます。

「お前は、霊に取り憑かれやすいから、心霊スポットやお化け屋敷なんかには、
絶対に行っちゃダメだよ。霊の被害に遭って、一番最初におかしくなってしまう。
自分でも勘付いて来たでしょ?地場が悪いところ、見付けれるはず」

彼の言う通り、確かにそうだったのです。
夜の神社なんて普通の人でも怖いと思いますが、
他の何か別の力を感じたり、
街の至る所。家と家の間の路地、公園、建物だったり、
壁の向こう、道路の脇だったりにも、黒く蠢くものを感じます。
暗くて視界が見えなくなる感じがする時が多々ありました。

実際に、中学生の修学旅行で泊まった旅館で被害に遭ったりもしました。
(中学の同じクラスの友達は知ってると思う)

大広間で、クラスみんなで壁に凭れて、雑談をする風景。
その和やかな雰囲気を、ハディカメラで撮影する担任の先生。
カメラが全体を映すように、スクロールする。
僕が映るシーンで、僕の後ろの押し入れの扉が少しスッと開く。

「ねぇ、今開かなかった?」
「冗談やめろって」

押し入れの扉を閉めて、会話に戻る。
そして、繰り返しスクロールするカメラ。僕。押し入れの扉。
スッと少し開く。

「ほら!空いた」
「やめろって!」

スクロールするカメラ。映る僕。僕の後ろで開く押し入れの扉。

その時、隣にいた友達が勢いよく立ち上がり、扉を開け中を探ると、
布団が入っているはずの押し入れには、花瓶が一つだけ入っていたのです。

次の日の観光バスで、先生が撮ったハンディカメラの映像を確認しようと言うことになりました。
一部始終を説明し、期待に胸を躍らせながらカメラを操作する先生。

「あれ、このファイルだけ再生出来ない」

あれは、何だったのでしょうか。僕のせいだったのでしょうか。

・社会人期

社会人になるまで、細かいものを含めれば、色々な現象に遭遇しました。
電気が勝手に点くとか、ラップ音とか、金縛りとか。
これは科学的に証明出来ると信じない人もいます。
出来れば僕も信じたくは無いのです。だって怖いもん。

見えない事だけが救いでした。
ただそれでも、法事に行くと視線を感じたり、体調を悪くすることもありました。

イルミネーションが綺麗な、某有名ダムでは身動きが取れなくなる事もありました。

昔に入った、某しゃぶしゃぶ屋さんでの出来事。
賑わっていた店内とは裏腹に、
店中の照明が全く点いていない錯覚に襲われます。
停電?いや、薄暗いだけか。雰囲気作り?だとしても、暗すぎる。

疑問を抱きながらも、食事を終え帰宅しましたが、やはり気になる。

事故物件サイト『大島テル』を使って調べたところ、
数年前に厨房で料理長が首吊り自殺をしたと、火のマークが点いていました。

それから、様々な交友関係を築いていく上で、
霊感の強い人たちに出逢います。

勿論、その中には怪しいなぁと思う人もいて、そういった類のエセの人達も分かってしまうのでした。
また本物の人たちは決まって、僕が『狐憑き』だと言うことを指摘する方もいて、
更には「長生きしない」と付け足すのでした。

『死』について、深く考えるようになりました。
勿論、死のうと言うことではなく、死とは一体ど言うものなのか。
生物学的な観点から、概念、思想まで色々なものを読み漁って来たと思います。

そして、どうせ死ぬのだから、人はどの道死ぬ運命なのだから、
好きな事やって生きようと言う気持ちが固まり、
絵を描いたり、写真を撮ったり、勉強も付き合いも、考えるよりも先に、
何でも行動してやるようになったのです。好き嫌いの分別がより一層強くなりました。

しかし、人は一般的にどうせ死ぬからと言って、それをすんなり受け入れることは難しいと思います。
勿論、僕もそうです。幽霊も怖いし、死ぬのもなんか嫌だし。
だから、仕事を無理矢理に詰め込んで、考えないようにしていた時期もあります。

オーバーワークが祟って、吐血したことがありました。
寝ている間に、吐血していたようで、ベットは血まみれ。
着ていた寝巻きや、顔まわりも真っ赤に染まっていました。

青ざめた顔で鏡を覗き、水を両手で掬って顔から首から洗っている時に、
滴り落ちる赤が混ざった水滴が、排水溝に吸い込まれていくのをぼうっと見ていました。

鏡の向こうの自分が、『38』と、言っていました。

そこからは、しっかり節度を持って計画的に休むようになり、
体調はすぐに回復したのでご安心ください。

ただ、その時には心のどっかで、腹は決まっていたのかもしれません。
存在の証明を残さなくては。

・最近になって

前回のブログ、

こちらでも触れた、ある人物にも同じ事を言われました。
「狐が憑いた光景が見えた」

もう驚きませんよ。やっぱりそうかって具合です。
理想は、ナルトのように、クラマを封印していて、凄まい力を発揮するような、
厨二心を擽る展開が良いのですが。

そして、ボソッと放った「38」

この後に、なぜ『38』なのか。
なぜ三年なのか。と言うことを教えてくれました。

再度、前回までの投稿を挟みますが、

こちらの内容で、僕の創作スタイルに、
人に寄り添いたいと言う思いのお話をしました。
そして、書けないのはポジティブだからとも。

つまり、僕が意味深な絵を描くときは、ネガティブな思考を落とし込んだり、
それに関連した気持ちに深くマインドや精神を落とし込んでいるのです。

また、執筆している文章や小説もそうです。
殺人鬼の物語を書く時に、殺人鬼の思考や感情を落とし込みます。
失恋の物語だと、無理矢理にでも失恋の感情に浸って、心をぎゅっと握られながら、
泣きそうになりながら文章を書いていたります。
そして、夜も眠れなくなり、徹夜を繰り返したりもして、
でもその中で思い浮かんだ深みのある言葉や物語が、筆や指を動かしているのです。

とても精神を疲弊してしまう作業なのですが、
人に寄り添う為には、精神を削ってでもやるしかないという信念がありましたし、
作家と言う生き物。魂や命を削って生み出す作品こそが高貴であり、神聖であり、
評価されるのだから、死んでから本当の価値が出て当然。
絵を描きながら、物語を紡ぎながら死ねたら、それこそ本望だ!
と、一方的な作家魂を見せていたのです。

そこで、そのある人物は言いました。
「殺人鬼の感情や、失恋の気持ちだったりを深く考えているだけかもしれないけれど、
実際にあなたは、霊を降ろしてしまっているよ。それは、本当に精神や魂を削ってしまっていて、
このままこれを続けていたら、あと三年で死んでしまう」

それに加え、
「その降ろしている行為こそ、本来であればしっかり修行をして行う、イタコさんの事なんだけど、
Hikageさんはそれを無意識にやれているから危ない。だから、イタコの修行をして下さい」


狐に取り憑かれたことから始まり、幽霊こそ見えないけれど、不思議な事を感じたり、
白い影にぶつかったり(気を失ったんだよな)、前世の記憶のイメージが出来たり、
実は元々霊感が強いらしく、しかも修行をせずに憑依させてしまえる、
イタコ界のサラブレットということでした。

正しくイタコの修行をし、降ろすという感覚が分かると、
入れないという選択肢ができるうになるらしい。
降ろさずに、俯瞰的にその感情を見れることが大事で、
精神を削ってやることは正解では無いと忠告を受けました。

そして、『38』に見える『死』という未来は、
過去の自分の『死』に変わって良い未来になるかもしれないと。

どうあれ、やはりあと三年が僕の正念場であることには変わりなさそう。

そして、現在。
自分の能力を更に自覚してしまったことで、
僕の身の回りのことや見えるものがどんどん変わって来てしまっています。

人の肩に何かを感じたり。景色の色彩に過敏になったり。
前世の記憶がチラついたり。怪奇現象が起きたり。

幼い頃から誰にも理解されないだろうと、
みんなに隠して来た本当の僕の中の一つのお話でした。

何だか、途中からホラー話になってしまってすいません。
では、また。みなさん、夜道は振り返らず帰ってくださいね^ ^

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