輪郭をなぞると、形が分かる。
筆を水に洗うと、色彩が浮かぶ。
目を閉じると、あなたの横顔が見える。
絵描きになるまで
おはこんばんちは、Hikageです。(どなたか挨拶の台詞を考えて下さい)
かれこれ、十五年になりますか。(年齢バレるて)
僕が、絵に携わるようになってから、何ともあっという間の歳月が流れた訳ですが、
そもそも昔から絵が好きだったとか、美術の授業が得意だったと言う訳ではありません。
そう、あれは10代最後の年ですね。
10代最後ってのは、とても複雑な精神状態をしている時期だと思います。
子供でもないし、でも大人にもなりきれていないと言う、もどかしさを感じながら、
将来に希望を見出そうとしたり、現状に憂いてみたり、
まぁ何とも言えないお年頃ですよね。
当時のHikage少年(少年では無いか)は、
横浜の小さなBARでバーテンダーをしていまして、
学生の頃に憧れていたバーテンダーになる夢を叶えてしまいました。
昔から容量良く、何でも器用にこなしていける性質からか、
仕事を覚えるのも早く、一通りやれてしまうと飽きてしまう側面も持っていて、
熱くなれず、熱が冷めてきて俯瞰的に冷静になっている自分に気がついた時、
ひどく悶々としていたのでした。
そんな中で僕は、突如として絵を描くことに目覚め、
没頭して熱くなる感覚を味わうことになった訳です。
(この昔話は、またの機会に残しておきます)
その出会いを果たすまで、ろくに絵も描いたことは無く、元から上手かった訳でも無い為、
そこからひたすら勉強をして、描いて描きまくって今の自分に至ります。
よく、周囲から『昔から上手かったの?』とか『才能があって羨ましい』など、
言ってもらえたりしますが、そんなことは一切ないのです。
大人になった今、痛感していることがあります。美大に行っていればと。
それが叶わなかったとしても、
『昔の自分よ、もっと早く絵を描きなさい!』と、
Hikage少年に言ってやりたいです。
絵描きの僕
基本的には、顧客様の依頼を受注して、それを具現化するスタイルで仕事をしてきましたが、
最近では、自分の思った事、考えている事を外に発散したい欲もあって、
自分の中にあるものを形にし、展示会や個別販売なども精力的に行っています。
そして、その活動が追い風になったのは、近頃話題に上がる『NFT』の存在でしょう。
主に、デジタルで作品を作っていましたので、『NFTアート』の誕生は、
デジタル作家にとって、良い転換期になったと思います。
(NFTについては、説明するのが難しく、僕よりも詳しい方のブログや記事を参考にして下さい)
また、熱し易く冷め易い性格の僕は、デジタルアート以外も勿論やります。
同じジャンル、同じスタイルに囚われず、絵の具を使ったり、カリグラフィーを取り入れたり、
写真とコラージュしたり、その時に思い付くありとあらゆる表現方法で、
絵を描く事を楽しんでいます。(同じスタイルで描き続けられる画家の方々を本当に尊敬します)
そして、描きたい時に思うまま、気の向くままに筆を躍らせている時が、
至福だと思えるのです。
よく、産みの苦しみと言う言葉を、作家の口から聞くことがあります。
作家と括ったのは、小説作家も映画脚本家も、モノを作るお仕事の人もそうですし、
画家もそうです。作家あるあるです。
先程、絵を描く事を楽しんでいると、発言しましたが、
苦しい時が多々あります。これは、作家それぞれで違うと思いますが、
僕の場合は、『今は描きたくない』と言う思いから来ます。
その『今』から、いつまで経っても抜け出せない時があるのです。
それを、次の章でお話しします。
僕が絵を描くと言うこと
アートの歴史は、それはそれは遥か遠く昔から続いてきている訳ですが、
みなさんは、『アート』と聞いて、どんな作品を思い浮かべますか?
レオナルドダヴィンチの『モナリザ』
ゴッホの『ひまわり』
ピカソの『ゲルニカ』
教科書で見たから知ってる!とか、美術館で見た!とか、それぞれに思い入れなんかがあったりするでしょう。
では、例として上に挙げた画家たちが、どのような意図で絵を描いたのか知っていますか?
答え:話すと長くなります。(なら初めから言うなって)
更に言ってしまうと、真意は作家本人にしか分かりません。
絵を展示したり、発表する時に、ディスクリプション(概要のこと)が必要だったります。
中には、見る人にお任せします。的な作家さんもいますが、
作家のバックボーンや、作品の意図を知れる事によって、道筋やストーリーを示し、
受け手に与える印象を操作する事が叶います。それも、作品の価値に含まれると言うことです。
また、その他の要素も関係してきます。
モナリザに関しては、制作開始から完成まで、3~4年かかったと言われていますし、
実は、3回ほど上から絵を塗り替えられてるとも言われています。
ゴッホのひまわりの制作期間は、一年半ほどですが、
ゴッホは生涯で絵が売れなかったと、都市伝説では語られています。
方や、ゲルニカは大作ですが1ヶ月で描き終えています。
こうやって、比較すると面白いことが見えてきますよね。
作家視点は前提として置いておきます。
制作期間が長いと、何だか凄い想いが込められてるんじゃないかとか、
完成まで早いけど、この大作を1ヶ月で?余程の熱量だったんだなぁとか、
その絵から伝わってくる気がするのです。(先にも述べましたが真意は分かりませんよ?遊び呆けていたのかもしれないし、適当だったのかもしれないし)
勿論、使っている画材なんかも関係します。(油絵なんかは乾かしてコーティングするのに半年とかかかりますしね)
その絵の中身を、正確に受け手に伝える為には、
やはりディスクリプションが必要不可欠ではあるのですが、
色々な妄想をして、ストーリーを受け手が勝手に解釈するのも、
アートの楽しみであり、そこにまた新たな価値が付随すると言えます。
じゃあ、肝心の僕はと言いますと。(遠回りしたよな)
受注の仕事は締め切りがあるので、それはきっちりお客さまのご要望に沿って、
最大限に持てる力を発揮して、具現化した作品をお渡しします。
これは、受け手側に意図があり真意があり、ディスクリプションがあると言うことなので、
その作品作りのお手伝いをさせて貰ってると言うスタンスです。
15年もやっているので、そこはもうプロ根性です。任せて下さい。
では、自分の中身を投影する作品は、となると。
僕の根底にある思い(ひねくれている)に、
・大衆ウケと言われる作品にしたくはない。
と、言う事と
・世界のどこかにいる誰か一人の孤独に寄り添いたい。
との想いがあります。
ポジティブな言葉は、時として人を苦しめうると思っています。
明るい歌、元気付ける詩、朗らかな環境など、
それが棘になって心に刺さり、居場所を無くして、寂しいと思っている人や、
辛くても声も出せないでいる人に、寄り添ってあげたいのです。
窮屈で息がしづらくて、やるせなくて、どうしようもなくなっている人へ、
「あなたは一人じゃないよ」と、言ってあげたいのです。
ネガティブ万歳!!って訳ではなくて、
無神経に元気出せよ!っての言うのは、ちょっと違うと思うんですよね。
それを根底に置いて、考えて創作を始めた時に、筆が止まる時があります。
なぜなら、僕がポジティブ寄りになっていたら、辻褄が合わなくなります。
また、その人に寄り添うことを考えたらどうするべきだろうとか。
ややこしいのは、その気持ちは僕のエゴでお節介なんじゃ無いかとか。
考え出して、ぐるぐる、ぐるぐるとなる時があります。
一般的に、元気が出るものが一番良いでしょうよ!って言ってくる人や、
作家たるもの売れるもの作らなきゃ意味なくね?とか、
この絵の意図が分かりません。とか言ってくる輩がいます。(急に口悪いぞ)
でも、良いのです。
そんな奴ら知りません。その人等に向けて描いてませんから。
そして、今描かなくて良いのです。
だって、描けないんだもの。(みつを風)
モナリザだって四年かかってるんですもの。(ダヴィンチと比べるお前は何様だ)
分かってます。僕には、あと三年しかないかもしれないことを。
だから、描ける時に描こうと考えていますし、出来るだけ多くの作品を残して、
一人でも多くの人に寄り添いたい。そう心から思っています。
でも、描きたくない時だってあるよ。
人間だもの。(みつを)
そこで、タイトルに戻ります。
秘すれば花と言うことわざを知っていますか?
秘すれば花なり秘せずは花なるべからず 世阿弥『風姿花伝』より
秘めるからこそ花になる、秘めねば花の価値は失せてしまう。
と言う意味です。
つまり、作家が作る作品と合わせて考えてみると、
作品の中に隠された意図やその真意の中に、本当の感動がある。
という風に僕は解釈します。
ダヴィンチが、モナリザを何重にも塗って隠した事。
ゴッホが、売れなくても描いた事。
ピカソが爆速で描き上げた事。
それらもきっとそうですし、
分かりやすくディスクリプションを提示し、道筋を示してあげ、
大衆にウケる作品で、誰が見ても解釈の通り易いものよりも、
長い時間をかけたり、全然描けなくて産みの苦しみを味わったり、
考えすぎて寝れなくなったり、80億分の1を狙ったり、
売れなかったり、嫌な輩に散々言われたとしても、
そこに作者の確かな真意があり、それを読み取ってくれる受け手が少数でもいたのなら、
それは作品として、大きな感動がある価値ある作品であることを信じたいです。
売れない作家の強がりと言われても、構いません。
そもそも、絵を描く理由なんてそれぞれ違うのですから、
一括りにするのが間違っているのです。
だからね、僕が言いたいのは、
好きな時に好きな様に絵を描こう。(他の作り手たる作家に置き換えれます)
但し、そこに秘めたる想いはしっかり持って、向き合おうよね。
言いたい事だけ言って、僕はスッキリしていますが、
あくまで僕個人の考えであって、他の作家は違うのは大前提です。
作家に正解不正解も無いのと一緒で、受け手にも正解不正解はないので、
秘められた真意を読み解こうと無理しないで下さいね。
価値観も好みも様々ですから、アートを見て、「なんかこう感じるなぁ」程度で、
楽しんでみて下さい。
そして、絵を描く事に、絵心やセンスなんて必要ないのです。
あなたの心の中にも、秘めたる想いがあるのなら、ぜひ筆を持って、
思うがままに自分の世界を描いてみて下さい。
それだけで、素晴らしいアート作品ですよ^ ^
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