2021年8月某日。
僕は、一眼レフカメラを抱え、汗だくになりながら、都内を練り歩き、
レンズを絞って、ファインダーを覗きながら、張り付くシャツの気持ち悪さと戦っていた。
この日は、僕が生まれた日で、周りの友人や知り合い達が、
祝福してくれるという連絡を断り続けた。
『何故ならば』と、言う用事が他にあった訳では無い。
何となく、ほんと何となくだけど、誰にも会いたくなかったのだ。
生まれた日に、浴びるほどお酒を飲まされる文化が嫌いだ。
生まれた日に、吐き気を催し、頭痛に悩まされ、殺されそうになりながら逃げ込んだトイレで、
神に赦しを乞う姿は、側から見てもダサいと思う。(暴れる良い大人もいるしさ)
まぁ、自分から祝ってくれよ。と、言うのも格好悪いし。一気飲みなんて時代錯誤も甚だしい。
自分がこの世に生を授かった日なのであれば、
自分がこの世に存在した証明をするべきだと、
2021年夏に僕は思ったのである。
12時間の果てに
思い立った僕は、すぐにレンタカーを手配して、
一眼レフカメラだけを持って夕方早々に家を飛び出して行った。
新宿、六本木、芝公園、渋谷の各箇所を車で周り、
駐車場に停めては、足を使ってひたすら色々な写真を撮りまくった。
ご飯は、誕生日に相応しい豪勢なものでは無い。
コンビニの唐揚げ弁当を食べた。勿論、年の数の蝋燭が乗ったホールケーキは無い。
車で弁当をかき込み、疲労や睡魔と戦いながら、
どうやったら渾身の一枚を撮ることが出来て、
存在の証明をする事が出来るのか。そんなことばかりを考えていた。
![](https://3years-writerblog.com/wp-content/uploads/2023/06/DSC00969-819x1024.jpg)
道行く会社員、通り過ぎるカップル、若者から外人。
色々な生活の音、色や匂い。
沢山の人や街の物語を、ファインダーで覗いている時、
自分は世界の外側から見ている様な感覚になり、
本当の一人ぼっちになれる瞬間がある。
実は、そんな瞬間が好きだったりする。
僕が、その世界をシャッターで切り取る度に、
人も街も、色も匂いも、誰かが生きた事も、物語も、
そこにそれが存在した証明になるからだ。
そして、そこに映る光と闇の部分だったり、
その一瞬で切り取った中に存在する物語は僕しか知らないので、
特等席で映画を見ている気分になるのだ。
だから、写真が好きだ。
約12時間、シャッターボタンを押し続け、渋谷を離れる時に、撮った写真がある。
それは、歩き疲れて、くたくたで、満身創痍の握力でシャッターを切った。
電信柱と渋谷のタワーマンションが映る写真。
アイキャッチ画像に設定しているこの写真だ。
タワーマンションの生活と、その下で群れる人々。
煌びやかな灯りを支える、無機質な電柱。
表で見えるモノの反対には、必ず裏の真実がある。
光が強ければ、影は必然と濃くなり誰にも気が付かれないのだ。
そんな考えが、瞬時に脳裏を過り、無意識のうちにシャッターを落としていた。
そして、この写真は後に、『日本電気事業連合会』の目に止まり、
写真のコンテストで優秀賞を飾る事になった。
誕生日に、ひねくれて尖り散らして、自分のせいで寂しさを味わったのだけれど、
『存在の証明』が、少し報われた瞬間だった。
帰路の途中で、湘南が一望できる小高い山に登った。
一つ歳を重ねた、新しい自分の一年の夜明けを見ようと、一眼レフも構えていた。
そこで、あるカップルに出会う。
静岡(だったよな)から、わざわざ湘南まで弾丸でドライブに来たらしい。
そして、この日初めて人と会話し、お祝いの言葉を言って貰えた。
登る朝日をバックに、お二人の写真を撮らせてもらった。
凄く喜んで貰えて、照れ臭そうに歯に噛むお二人の姿を見ていると、
何だかじんわりと温かいものが、心の中に広がっていく様な気がした。
![](https://3years-writerblog.com/wp-content/uploads/2023/06/DSC01026-819x1024.jpg)
『苦楽』とは、真逆の意味かもしれない。
しかし、僕がこの日に味わった『苦楽』は、表裏一体のものだった。
苦しさの先に楽しさがあったし、優秀賞を取れたし、人に喜んで貰えた。
浮世も捨てたもんじゃないなぁ。と思いながら、家路に着くのだった。
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