※この記事は、Hikageの強い思想と過激な表現が含まれます。心身の弱い方や体調の優れない方の閲覧はお勧め出来ません。
くれぐれも、各自の責任においてお読み下さい。
前置き
『自分は、あとどの位生きるのか』とか、
『何歳で死ぬのか』とか、
『死んだらどうなるのか』とか、
きっと誰しも考えた事があるだろう。
『死』からは、人として生まれた以上、切っても切り離せない宿命であり、
はるか昔、人類よりも前、生命誕生の時代からDNAレベルで記憶され遺伝されてきて、
眠る前に考え出した時にはもうそれは、絶望的な虚無感や恐怖を覚える事もあるだろう。
では、仮に。
自分が、もし死ぬ時期を知ることが出来たのなら。
もし死ぬ時期を知ってしまったとしたら。
あなただったら、どうするだろう?
僕は、どうやら
あと三年で死ぬかもしれないらしい。
あと三年の僕のプロフィール
初めまして。Hikageと申します。
前置きであぁだこうだ、とカッコ付けて参りましたが、
至って精神状態はまとも(だと思いたい)な、まだ30代の独身男(寝起きはもう体のあちこちが痛い)です。
何をしている30代独身男(大事なことなので)なのかと言いますと、
普段は絵を描く事に関連した仕事をしております。
展示会に出したり(去年は東京タワーなどにも出展)、販売もしています。
写真は趣味で、コンテストにも出したりしています。
文筆家として、ライターのお仕事もしたり、現在は小説を執筆中です。(目指せ文学賞!目指せ菅田将暉主演で映画化!)
音楽、映画、ゲーム(時間があれば)、旅行(時間があれば)、パン作り(時間があれば)が趣味で、
都市伝説やオカルトや雑学などを調べることが好きで、
甘味(塩豆大福)が大好物で、ホヤ(エイリアンの卵)は嫌いです。
以後、ご贔屓にして頂けると大いに喜びます。
なぜ、あと三年なのか
さて、ここから本題に入る訳なのですが。
ここ最近で、色々な出来事(脳内メモリパンク)がありまして、
とてもじゃ無いけれど、偏には語り切れません。(勿体ぶります)
語るには本当に長くなりそうな内容なのです。(勿体ぶらせやがって)
ですので、今日から数回に分けて、その理由と原因となった事を連載形式でお伝えしながら、
それぞれ各回では、具体的に出来るだけ分かりやすく深掘っていきたいと考えています。
今回はざっくりと触りの部分と、
僕が、このブログを立ち上げようと考えた趣旨を、お話ししたいと思います。
・様々な因果
最近、ほんのしたキッカケがあり、そこで新たな出会いがありました。
突如その人物は僕を見てぼそっと言ったのです。
「38歳かな」(年齢バレる)
僕は、その言葉を聞いた時に、すぐに察しがつきました。そして驚きはしなかったのです。
むしろ、「やっぱり、そうだよなぁ」と言う独り言が、体の中を巡りました。
その人物の正体は、第六感や直感的な力で、霊視が出来る人物だったのです。
僕個人、オカルト好きなのもありますし、スピリチュアル系も縋りはしませんが、大好物なジャンルであります。
スピリチュアルな要素を除外しても、その人物の言葉の中に込められていたエネルギーは、
他の人間が発する言葉とは、全く別物の意志が感じられました。(正直言葉が思い付かないです)
「やっぱり、そうだよなぁ」と、僕が思ったのは、最近のこの出会いだけがキッカケではありません。
過去、幼少期から大人になった現在に至るまで、
数々の出会いや別れ(枕を濡らした夜もあるさ)を繰り返してきたそんな僕ですが、
そんな中で霊感の強い友達や、様々な占い師(本物か嘘かはわからないけれど)から、
「あなたは、長生きしない」(怖いこと言うなよ)
と言われ続けてきました。そこまでは、まぁ半信半疑に落ち着きますが、
見かけによらず意外と体が弱かったり、持病っぽいものがあったりもしまして、
更には、ある過去の出来事がきっかけで、実は僕自身でも自分の不思議な力を感じる事も多かったのです。
(これの具体的な話も次回以降で出来たらと思います)
そして、その不思議な自分の力の声も『38』と言う数字を前から教えてくれていたので、
あまり驚かなかった訳です。(ちょっとぶっ飛んだ話でごめんなさい)
期待させてしまっていたら申し訳ないのですが、
この「あと三年で死んでしまうかもしれないので」と言う話には、
化学的根拠も無ければ、医学的な原因も今の所(健康診断に生まれてこの方行ったことがないので)は無いのです。
「Hikageさんよ、あんた夢でも見てるんじゃぁねぇのかい」
そう仰りたい気持ちも分かります。
しかし、世の中には、
虫の知らせだったり、嫌な予感だったり、女の勘だったり(厄介ですよね)、なんとなくそんな気がする、
と言った、目には見えない力が働く時があるではありませんか?
きっと、思い当たる節があるでしょう。(女の勘とは言ってない)
差し当たって、今現段階で、悲観する様な決定的な根拠は無いのですが(期待させてしまっていたらすいません)、
『あと三年で死んでしまうかもしれない予感がする』と言う風に着地した訳です。
そして、この体験と今までの経験した事、そこから誘発され自分の中で芽生えていたけど表に出せなかった思考や思想は、
何としても書き残しておかなければいけない!と、言う謎の使命感と、
個人の日記、棺桶リスト、エンドノート的な記録と、
文筆家としての性分が相まって、ブログを始めた理由となった訳です。
僕が死んだ後でもこのブログが残り続けると言う事は、
この世に存在した証明になると思ったからです。
また、今回以降の記事に、最近のこの新しい出会いの事や、過去の不思議な体験に関しては、
深掘りして具体的にお話ししていくつもりです。
何せ情報量が多くなりそうですので、順序良く分かりやすくお伝え出来ればと思案しております。
そして、僕の中で眠っていた思考だったり言葉だったりを好き勝手書かせて貰おうと思っています。
別に共感はして貰わなくて大丈夫です。(本当は褒めて欲しい)
ただ、これを読んでいるあなたの何か気が付くきっかけになったり、
一緒に考えたり、あなたが抱えているものに寄り添えたらいいなぁと思っています。
思うところ
正直な所感、あと三年で死んでしまうかもしれないけれど。なんなの?って言う感じです。(どうした)
そもそもですが、
なぜ三年以降も生きていると思うの?
それ以前に、
なぜ、明日が当然の様にやってくると思うの?
そう思う訳です。
昨今の世界情勢を顧みてではありません。最早その随分と前から、
当たり前の事は、当たり前ではなくなっているはずです。
世間だけではありません。自分にいつ不運が降りかかるかも分かりません。
当たり前のように、明日はやってくる。
当たり前のように、朝がやってくる。
当たり前のように、10年後は何をしている。
『当たり前』でいる事を、無下にしていまっている今、
明日が当たり前にやってくるとは、僕には到底思えないのです。
要するに、残りの寿命は明日かもしれないしあと三年かもしれないぞ。って事です。
これには勿論、化学的根拠も何もありませんが、宇宙人が…とか、太陽フレアが…とか、
交通事故だとか、ウイルスとかワクチンとか、戦争とかお風呂で転んで頭打つとか、
原因なんていくらでも出てくるのに、明日自分が生きていられる根拠がまるでない訳です。
僕が伝えたいことは、
あと三年基、明日ですら迎えるのかも分からないのであれば、
僕が死ぬ時期なんてどうでも良くて、
今やれる事を、今自分にしか出来ない事を、今全力でやろうと思ったのです。
明日、例え世界が惨憺たる結末を辿り滅ぶとしても、
最期のその時まで、文字を書いて、絵を描いて、写真を撮ろう。
そう思ってここに書き残します。
三年後の、僕がいない世界の人へ。
あ、勿論、死のうとなんて思ってないですよ。安心して下さい。
楽しみながら、出来るだけ長くこのブログを続けていくつもりです。
頑張らず気楽に好き勝手に。
四年目が来たら、その時は笑って貰って、その時の事はその時に考えますよ^ ^
コメント