AIアート、ズバリどうなの?

ブンブン、ハロー!!Hikaキンです。(一番やっちゃダメ)

梅雨ですか?まだですか?
まぁ僕は家から殆ど出ない引き篭もりなので、
どちらだって構わないのですが。

結構、雨は雨で好きでして、
特にこの時期の雨って、瑞々しくて、
植物が青々と元気になっている様な気がして、
個人的には好きですよ。

雨だ雨だって悲観していても、
天気なんてどうにもならないですから、
長靴履いて水溜りではしゃいでやりましょうよ。

あ、僕は家から出たく無いので遠慮しておきます。←

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AIアートってなんや?

AI(人工知能)を用いて、造られたアート作品の事を指します。

その手法は、特定の規則に従って画像を生成するにあたり、数々の数学的手法や、絵筆の筆致やその他の絵画技法を真似たアルゴリズムや、敵対的生成ネットワークおよび敵対的生成トランスフォーマのような人工知能や深層学習アルゴリズムが用いられ。みたいです。<wiki抜粋>(全く意味がわかりませんw)

要するに、人間に代わって、AIがどうにかこうにかしてアートを描いてくれるって事です。(もっと勉強します)
って言ったら、AIアートをやっている方に怒られてしまいそうですが、
『AIアート』で是非検索してみて下さい。百聞は一見にしかずってやつです。

アメリカの芸術コンクールでも、受賞してしまう程の作品を生み出してしまったりは勿論、
どのジャンルどのスタイルでも、なんでも生み出せて、しかもクオリティーも言わずもがな、
ただ凄いと言うか、信じられないの一言。

そもそも昨今のAI技術の成長や発展が凄くて、
正直言いますと、僕は完全に置いてけぼりです。

チャットをしたり、コードを書いてくれたり、
仕事の効率化にも一躍買ってくれたり、将棋やチェスは人間を寄せ付けなくなり、
計算も正確で早いし、アルゴリズムや監視社会の実現にも大きく貢献しています。

昔、映画で観たSF映画の様なことが目の前で起こっている事が、
時代の進歩を感じさせずにはいられませんね。

ぶっちゃけどうなん?AIアート

ここからは完全に個人の主観と価値観でお話しします。ご了承下さい。

AIアートは、盗作の問題だったり権利の問題だったり、
コンテスト作品では禁止だったり、まぁネガティブな意見もちらほら見えます。

効率が良いとか、絵が描けない人も簡単に綺麗な絵を代わりに生み出してくれるし、
革新的だしってポジティブな意見ばかりではありません。

AIアートに人権を!みたいに精力的に活動している方々もいれば、
AIアートは害悪だ!なんて過激な事を大声で叫んでいる人もいます。

勿論、作家の身からすると、自分の作品が盗作されたり権利を侵害されるのは、
困ってしまうところではあるので、権利を守ろうって気持ちも大いに分かりますよ。

でも、光があれば影もある訳で、そんなこの世の理ではありませんか?
AIアート以外もそうでしょう。(政治とかLGBTの話をすると突っ込まれそうなので一先ず控えます)

AIアートが正義か悪か。
伝統こそが全てなのか。

それで、僕が思ったのは、
どっちでも良くね?です。

AIに真似されたら、むしろ嬉しくね?です。

すいません、そもそも真似とかの概念もAIには無いのかもしれないですけど、
使いい人は使って効率的にやれば良いし、
使いたくない人は使わなければ良いだけで、真似されないアートを作りゃ良いだけの話です。
コンテストでAIに負けてしまうのは、それは悔しいかもしれませんが、
そもそも誰にも負けないぞ!って意気込みで根本やってきた訳じゃないですか?

AIごときぶっ潰してやりましょうぜ。
古い考えなんて一掃してやりましょうぜ。
温故知新でしょう。

色々な考えがあって良いではありませんか。

あと三年のHikageこそAIを使うべきなんじゃ?

僕Hikaキンは、AIを使いません!
正しく言うと使えません。siriですら反応するとびっくります。(もう脳みそが追いついてないだけで、本当は興味はありますので、有識者の優しい先輩方、教えて下さい)

僕は、かれこれ十五年以上絵を描く仕事をしてきまして、
それも全て手作業でやってきました。
なんなら今も手作業でやらないといけないのが、僕の特殊な絵描きとしてのお仕事です。(またお話しする機会を設けます)

ですので、自分が手作業で描いていないものが、しっりこないのが正直な所。

気持ちが篭るのも、筆が躍るのも、絵の具の質感も、熱量も臨場感も全て、
自分の手と肌と目とその場の空気感で感じたいって言う気持ちが強いです。

AIアートに気持ちが篭ってないんじゃないか。って事が言いたい訳では無いでよ。
AIアートを正確に出力するのにも、それ相応の技術が必要なのも知っていますし、
沢山の知識が必要な事も分かっています。

これは、単純に自分の好みと信条のお話で、
僕は自分の手で絵を描きたい!ただ、それだけの事です。

人それぞれに正義があって良いじゃありませんか。
皆違う信条を持っていたって良いじゃありませんか。

自分の価値観を持つことは大切です。
でも自分の価値観で他人の信条を否定することは間違っています。

更に、ここに順応することこそが正義ってほざいている人もまた違います。
今すぐ順応しなくたって良いんですよ。
そのまた逆も然りです。固定概念に囚われてしまっている人もいます。

僕は携帯電話が無い時代にギリギリ生まれました。
毎回友達の家に電話して、友達の親に挨拶するのは緊張した思い出があります。
携帯電話が誕生して、ほんの数十年で途轍もない進歩を見せました。
でも、ずっとガラケーの人も知っていますが、死んでないですしね。

そして、ガラケーのサービスが終わってしまうから、
スマホに変える訳ですけど、間に合ってませんか?手遅れでした?

AIの進歩は目覚しく、シンギュラリティーはいずれ必ず来ると僕でも思います。
人間がAIに完全に敗北する未来も、もしかしたらすぐそこなのかもしれません。

でも、いずれそうなったら順応するしかないんです。
でも、んぜん別に今じゃなくても良くないでしょうか。

僕は僕の信条で、人間が負けるその日までは、
自分の手で絵を描きたいですし、
人間の底力ってのを見せていけたらなって思っています。(個人の主観ですよ)

そして、使えるものは頭使ってAIを従えていけたら良いと思ってます。

結果的にスカイネットと戦うことになって、滅びの道を辿るとしても、
これは人間が起こした事。順応するしかないですよね。

古い考えの人も同じくです。
結局SNSに頼り、検索も買い物もAIアルゴリズムを頼りにしてしまっています。

つまり、真の順応って、双方の良いところを上手く組み合わせることにあるのではないかと。

どうあれ、『ート』は、評価するのは受け手側ですから、
それが人だろうが、AIだろうが、作品を見た人が綺麗と思ったらそうですし、
欲しいと思ったらそれが正解なんです。
楽しい、面白い、熱量、感動、それぞれから受け手が感じたものが正しいと思います。

人間もAIも、このまま何事もなく、引き続き仲良くして行けたら良いですよね^ ^
そんな意味を込めて描いた作品が、アイキャッチ画像の『シンギュラリティー』

京都の旅館『こうろ』さんで、掛け軸になりました。

今日は、そなお話でした。

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